成見和子のブログ

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トッツィー(映画・1982年)【ネタバレ注意】

1982年の映画「トッツィー」観ました。

爆笑ドタバタコメディーなのかな、と思っていたら、ちょっと違ってました。

もっと骨太、というか。

笑いは満載で楽しいのですけど、それだけじゃないのです。

 

「女優」として女性を演じるうちに、マイケルは女性の置かれた立場や気持ちを理解するようになります。

そして、それを発信することで、人気者になって行きます。

この過程の描き方が巧みだなあ、と思います。

俳優としての能力の高いマイケルだからこそ、なのですよねえ。

自分が演じる役について、とことん考察し、理解を試みる。

女性についての理解も、最初は「仕事として」だったのでしょう。

 

それが次第に「あれ? どっちだっけ?」になって行く。

まるで本当に女性になってしまったかのように。

そんな状況になってしまう要因のひとつが「男としてジュリーに惹かれる気持ち」なのが、またヤヤコシイ。

複雑でワケがわからない状況ですが、観ていると、いろいろと考えさせられます。

結局のところ、男か女かなんてこと、どっちでもいいこと。

相手を一人の人間として尊重して誠実に行動できるかどうか、それが全てなんじゃないか、と。

 

英語の tootsie は、女性に対する愛称で、「ねえちゃん、かわいこちゃん」みたいな意味合いのようです。

実のところは「相手を一人前の人格と認めていない」ニュアンスがあるのでしょう。

ロンに「トッツィー」と呼ばれたドロシー(マイケル)が怒る場面は、女性なら誰でも共感するだろうなあ。

でも、そもそもドロシーの「正論」は偽りの上に成り立ってるワケで。

ロンのジュリーに対する態度を不快に思うマイケルだけど、マイケルのサンディに対する態度も十分に不誠実です。

 

最後には、いろんなことがブーメランみたいにマイケルに襲いかかって来て、破綻を迎えることになります。

マイケルには何も残らなかった・・・ではないところがイイです。

ドロシーとしての行動の中には「ホンモノ」の部分もありました。

ジュリーはそれを理解していて、だから二人は「友情」から再スタートできました。

マイケルも以前のマイケルとは違いますし、もしかしたらジュリーの愛を得ることができるかも。

 

私は1961年生まれで、この作品は1982年ですから、女性の立場などについて共感するところが多いです。

2023年の今はどうなんだろう?

「古くさい」ってことになるのかな?

いや、案外そんなことないのかも。

画一的・一面的なものの見方は、今でもはびこってるし。

ドロシーの言葉や行動は、時代や世代を超えて共感を得るかも。

今の若い人が観ても十分に面白いんじゃないかなあ、と思います。

 

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