「クロコダイル・ダンディー」を観ましたので感想などをメモしておきます。
ずいぶん前に観たことがあるのだけど、映画館へ行ったのだったか、レンタルビデオだったか、テレビで観たのだったか、覚えていないです。
確かに言えることは、その時の印象と今回観た印象が違う、ってこと。
面白さの質が違う、とでも言うのでしょうか。
もちろん同じ作品なのだから、変化したのはこちら側、ってことですよねえ。
時代が変わったからなのか、私自身の感じ方が変わったのか。
当時は「声を出して笑いながら観た」ような気がします。
今回は、何というか「心の中でじわっと、ふふふ」とでもいう感じでした。
要するに「今観ても面白かった」ってことなのですけど。
ミックの人物像には一貫性があって、「笑わせる」ためだけに存在してるのではないのだなあ、と改めて考えさせられました。
ニューヨークでのミックの行動の根底には、オーストラリアの奥地でのサバイバルと同じものがあるのだなあ、と思うのです。
状況を素早く読んで適切な行動を選択する。
それが次々に笑いを引き起こして、コメディーに仕上がってはいるのだけど、決してそれだけじゃないのですねえ。
奥地で生き抜ける男は、ニューヨークでもサバイバルできる。
敵を撃退し、友人を作り、女性の心をつかむ。
あれ? 同じ事なのかな? という気になります。
「本質」などという陳腐な言葉しか思いつかないのですが、スーが惹かれたのはその「本質」の部分なのだろうなあ、と納得させられます。
失恋した(と思った)ミックが去る時に、「オーストラリアに帰ろう」ではなくて「アメリカを見て回ろう」となるところが好きです。
それでこそミック! という感じ。
そもそもニューヨークに来たのも、スーと別れがたくて、というだけじゃなくて、「新しい世界を見てみたい!」という好奇心があったのだろうし。
生命力、なのですよねえ。
リチャードなんかとは比べものにならないレベルの。
あ、リチャードは大変に気の毒ですけれど(笑)
スーが「クロコダイル・ダンディー」の取材に行こうと思い立ったのにも、何かしら必然性のようなものを感じます。
リチャードとの関係は、問題ないようにも思えるけど、心の奥底では何かしら「これは違うかも・・・」という直感が働いていたのかもしれないし。
あ、何だか私、語ってますねえ・・・。
余計な読み込みをしているのかもしれないです。
若い頃は「この映画オモシロイ! 笑える!」で済んでいたのに。
なんやかんやと余計な解釈をするようになってしまったのかも。
それが「感じ方が変わった」ってことなのかも。
それは良いことなのか悪いことなのか・・・。
ちょっと複雑な気分です。