こうの史代の漫画「夕凪の街 桜の国」を読みましたので、感想などをメモしておきます。
ネタバレになる部分がありますので、未読の方はご注意ください。
「思い出したくないこと」って、誰にでもありますよねえ。
普段はフタをしてる。
でも時折フタが開いてしまうことがある。
しかも、なぜか「ここぞ」という時に開いてしまう。
そして、それが原因で一歩を踏み出せず、幸せを逃してしまう。
物語のネタとしては珍しくもないパターンだけれど、誰にでも心当たりがあるから、刺さるのですよねえ。
でも、「夕凪の街」の皆実のそれは、すさまじい体験。
「自分は生きていてもよいのだろうか?」という疑問を抱くレベルの。
でも皆実は一歩を踏み出した。
それなのに・・・何という残酷な結末だろう・・・。
「救いがない」とは、まさにこの物語のことだと思う。
どんなに救いがなくても、世界は続いて行く。
「夕凪の街」の登場人物たちも、それぞれの人生を生きていく。
そして、次の世代も生まれる。
「桜の国(一)」は、子供たちの世界。
背後に流れるものは明確には描かれないため、一見、屈託ない子供たちの世界にも思えるのだけれど・・・
「桜の国(二)」で、事態が動き始めます。
七波が「フタをしてきたもの」が次第に明らかになっていくのです。
それは、「夕凪の街」から繋がってくるもの。
皆実は被爆者だけれど、七波は被爆二世です。
原爆は、時間が経過しても、次の世代を間接的に苦しめていましたが、最終的に七波は「自分が生まれてきたこと」を明確に肯定するに至ります。
この変化をもたらすきっかけが、親世代も自分も原爆には縁のなかった東子だったのが象徴的だなあ、と思います。
外側と繋がる必要があるのだろうなあ、と思うのです。
東子自身も「傍観者」ではいられなくなりましたし。
東子と凪生には明るい未来があるでしょうし、七波にも彼氏ができるかもしれません。
あ、「彼氏ができるかも」はヘンな表現かも。
でも、おそらく七波はこれまで「母親になる」ことを避けたかったはずです。
その縛りが外れたってことは、幸せへの道が開けたと言っていいのでは?と思うのです。
こうやって次の世代が強く生きて行ったとしても、皆実の死の「救いのなさ」に変わりはなくて。
でも、少しだけ気持ちが軽くなるような描写もあって。
七波と凪生の父・旭が広島で皆実の知り合いに会いに行く場面。
年配のご婦人たちの一人は古田さんだよね?
それから、川べりで語り合ってたハゲ頭のおじさんは打越さんだよね?
みんなの記憶の中には生きてるんだなあ、と。
映画化やドラマ化もされているようです。
機会があったら観てみたいなあ、と思います。
★こちらの記事もどうぞ