成見和子のブログ

日々雑感、ジャズ歌詞、映画、読書。

西の魔女が死んだ【ネタバレ注意】

映画「西の魔女が死んだ」を観ました。

 

私自身の年齢のせいでしょうか。

気がつくと、主人公よりも、おばあちゃんの側の視点で観てました。

あ、私にも孫はいますけど、まだ小さいです。

危機に陥った中学生の孫と本気で向き合う、なんて経験はありません。

 

子育てはホントに大変です。

どんなに頑張っても「100点」はないのですよねえ。

完璧な人間なんていないのだから、アタリマエですけど。

そのアタリマエが、なかなか許されない時代みたいで、ちょっとでも失敗すると「毒親」の烙印を押されてしまったり。

私もたぶん、何かしら子供たちから恨まれてることはあるはず。

彼らはもう分別のある大人ですから、私を決定的に傷つけるようなことは口にしませんが。

 

その点、祖父母というのは無責任で気楽な存在です。

たまに会って一緒に遊んで、「おばあちゃん大好き!」と言ってもらえて。

距離があるからこそ、なのですよねえ。

 

この映画では、主人公は学校へ行かなくなって、しばらくおばあちゃんのところで過ごすことになります。

母親は「ちょっと気分転換すれば・・・」みたいなことを言ってますけど、実際のところ、そう簡単なことではなくて。

おばあちゃんは親の役目を引き受けることになるのです。

そうなると、単純に「おばあちゃん大好き!」では済まないことも起きてきます。

その流れが何とも辛くて。

まだ中学生の主人公の態度を責めることなんてできません。

おばあちゃんの方も、本気で孫に向き合ったからこそ、だったのでしょうし。

その状態のまま二人が離れることになってしまった理由が「遅ればせながら母親が親の役目を果たす気になったから」なのが皮肉です。

 

登場人物はみんな、発展途上の人たちです。

主人公はもちろん、主人公の両親も、ゲンジさんも。

そして、おばあちゃん自身も。

みんな、死ぬまでちょっとずつ成長して、でも結局のところ完成することはなくて、完璧にはなれなくて。

それでもやっぱり、進んでいくしかない。

おばあちゃんは、それを知っていたのでしょうねえ。

だから、主人公の成長を信じてた。

2年の間があいても、自分のメッセージを受け取ってくれるとわかってた。

 

「魂と身体」の話は、正直なところ、私には理解できない世界です。

おばあちゃんは本気で信じてたのかな?

日本人とは異なる、文化・宗教の違いからくるものなのかな?

ただ、あの時の主人公には必要な話だった、ということは確かです。

でもそれは同時に、主人公の父親のことを否定しかねないものでもありました。

私だったらどうする?

孫の危機に直面して、親とは異なる自分の考えを伝えるか?

考えさせられます。

 

原作は未読です。

読んでみたらまた印象が変わるかも、という気もしてます。