「gaslighting(ガスライティング)」という言葉を先に知りました。
心理的虐待の一種を表す用語です。
「ガス燈」という舞台劇およびその映画化作品に由来する言葉だというので、映画を観てみた次第。
今回観たのは1944年の米国映画です。
怖い、怖い、怖い。
ひたすら怖かった。
それが感想の全て。
そう言ってもいいくらいの怖さです。
たたみかけるような心理的虐待の連続です。
主人公が追い詰められて行く様子がリアルです。
同じことをやられたら、私も正気ではいられないと思います。
どこがどんなふうに怖いか、心理学っぽい解説を試みようとは思わないです。
とにかく観てみて! 観ればわかるから!
ただし、心理的虐待で深く傷ついたことのある方には刺激が強すぎるかも、です。
この状況を救ってくれそうな人物は早い段階から登場します。
なので最後には必ず主人公は解放されるはず、と信じて観ることになります。
でも、もしかしたら救いのない結末になってしまうのでは? という恐怖もあり、スリル満点。
手袋のエピソードがとても好きです。
亡きアルクィストがキャメロンを通じてポーラを救ったとも言えるなあ、と。
それにしてもグレゴリーのやり口は凄まじいです。
メイドが何人か変わったようだけど、これ、グレゴリーが「ポーラと相性のよいメイド」は次々とクビにして、「ポーラが苦手とするタイプ」であるナンシーが来たことで、ナンシーを定着させたのでは? という気がします。
ダルロイ婦人のパーティにポーラが一人で行こうとした場面もすごかった。
観ていて「そうよ、ポーラ! 頑張れ! そこから抜け出すのよ!」と応援したくなりました。
でもグレゴリーは「自分も行く」と態度を変えて、そして、新たな罠を仕掛けるのです。
「もうやめてくれー!」と叫びたくなりました。
グレゴリーの仕掛けとは別に、偶然の要素もうまく取り入れられています。
耳の遠いエリザベスには不審な物音が聞こえない、とか。
エリザベスには何の悪意もないのに、結果としてポーラが追い詰められることになるのです。
エリザベスといえば、ポーラを守るためについた嘘がポーラ混乱させる、という場面もありました。
とにかく、いろんなことが絶妙に絡み合って展開していきます。
息つく間もない心理サスペンス。
たっぷりと堪能しました。
必見です。