最近「コタツ記事」という言葉を知りました。
ウィキペディアによると「ジャーナリスト、ライターが現地に赴いて調査を行ったり取材対象者に直接取材したりすることなく、インターネットのウェブサイト、ブログ、掲示板、SNS、テレビ番組などのメディアで知り得た情報のみを基に作成される記事」だとのこと。
なるほどぉ。
そういう目で見てみると、ネット検索で出てきた記事はコタツ記事だらけだなあ、と改めて感じます。
あ、別に、コタツ記事が全て悪いとは思わないです。
自分の欲しい情報が過不足なく得られればそれで良いワケで。
うまくまとめられたコタツ記事は役に立ちます。
実際、「現地調査も取材もしない。座ったまま入手できる情報を過不足なく上手くまとめるのが仕事。」と割り切ってるライターさんも多いのかも。
それ以上に踏み込んだ内容が欲しいなら、こちら側が更なる検索をして、必要な情報を探せばよいのだし。
こちら側に「見分ける目」があればOK、ってこと。
と、ここまで書いたところで「あれ?」と思いました。
「現地調査も取材もしない。座ったまま入手できる情報を過不足なく上手くまとめるのが仕事。」なのだったら、書き手は人間じゃなくてもいいんじゃない?
こういうの、AIが得意なんじゃない?
チャットGPTとか、すごく話題になってますよねえ。
私はまだ使ったことはないけど。
「こんな文章も作っちゃう!」という例がいろいろと挙げられてて、へぇ~、と思うけど、あれって「ものすごくレベルの高いコタツ記事」ってことなんじゃない?
チャットGPTが生成するのは「究極のコタツ記事」ってこと?
う~ん、これは人間の負け、ですよねえ。
コタツ記事ライターは要らなくなるのかな?
Web上はAIが書いた記事で埋め尽くされることになるのかも。
ライターさんたちは失業?
でも、そんな世界になったとしても、私は書くことをやめないと思う。
職業ライターではない、っていうのもあるけど、それだけじゃない。
私が書き散らかしているのは「情報を届ける文章」ではないから。
どーでもいいような「駄文」ばかりだから。
映画を観たり本を読んだりして、自分の思ったことを書く。
的外れかなあ、と思いつつも、とりあえず書く。
日常の中で「ん?」と思ったことを言葉にしてみる。
そこには「実際に何かを感じた自分」がいる。
こればかりはAIでは代替できない、と思うのです。
いや、そうでもないのかな?
そのうち「自分で何かを感じて駄文を書き散らかすAI」が登場するのかな?
どうなんだろう・・・。