ダイアナ・ウィン・ジョーンズ「魔法使いハウルと火の悪魔」を読みました。
軽く感想などをメモしておきます。
ネタバレになる部分がありますので、未読の方はご注意ください。
言わずと知れたジブリの映画「ハウルの動く城」の原作ですが、原作と映画では異なる部分も多いです。
映画のイメージを引きずったまま原作を読むのは勿体ないと思います。
あの映画は「宮崎駿監督がこの名作を読んで映画にしてみたらああなった」というもの。
映画ももちろん傑作だし楽しいけど、原作は原作として「自分なりに」読んでみるのがお勧めです。
アタリマエのことかもしれないけど。
主人公のソフィーは「三人姉妹の真面目な長女」。
本人は自分のことを過小評価してる模様。
実は魔法の力も持っていて、魅力的な女の子なのですけど。
町で素敵な若者(実はハウル)に出会っても尻込みして逃げ出してしまう。
そんなソフィーが荒れ地の魔女の呪いで老婆にさせられてしまい、生きるためにハウルの城へ入り込み、元気に働き始めます。
ハウルに対しても言いたい放題、態度の大きさは「同一人物?」と疑ってしまうほど。
これ、不思議だけれど、何だかわかる気がします。
見た目が変わってしまったことで、気取る必要もなくなってしまったのでしょうねえ。
呪いのおかげ?でソフィー本来のたくましさが表面に出てきた、とも言えそう。
ハウルの本当の人物像は読者にもなかなか見えて来ないです。
理由は「ソフィーのフィルター」を通してしか語られないから。
ハウルに対する恋心と、それを無意識に否定しようとする心。
ソフィーの心はヤヤコシイ状態になってしまってます。
それがソフィーの目を曇らせてしまって、読者もそれに付き合わされる形です。
もちろん最後にはスッキリと晴れて、恋も成就します。
この物語は一貫して「ソフィーの目を通して」語られて行きます。
いろんな謎が、余計にわかりにくくなるのはそれもあってのこと。
そのややこしさが面白いのですけど。
終盤、ソフィーはハウルとカルシファーの「契約」の内容を理解します。
その場面でのソフィーの心の声が印象的です。
「カルシファーをかわいそうに思ったからでしょうが、まったく、なんてばかげたことをしたのでしょう!」というのです。
最初の頃のソフィーだったら「悪魔の力を手に入れたかったのよ、自分が強くなるために!」などと思ったことでしょうねえ。
ハウルへの愛と理解がよく現われている場面だと思います。
それにしても、ソフィーは、ハウルとカルシファーの双方を救う力を持った「運命の女性」だったのですねえ。
実は最初からそうだった、ってこと。
「絶対に失敗する長女」なんてとんでもない、全然違うでしょ! なのですねえ。
この作品は「児童文学」に分類されるのだと思いますが、大人が読んでも十分楽しいです。
ご興味のある方はぜひ読んでみてくださいませ。