サイモン・バーチ観ました。
感じたこと、考えたことをメモしておきます。
ネタバレになる部分が出てくると思いますので閲覧注意です。
★冒頭、サイモンのお墓「1952~1964」に、あれ? となった。原作「オウエンのために祈りを」(ジョン・アーヴィング)の主人公はもっと長く生きたはず。でも観たら納得。原作のエッセンスを短い時間に圧縮してある、という感じ。
★映画が始まって10分も経たずにサイモンは12歳に。どんなふうに育ったのかは詳しくは描かれない。(でも、時折挿入されるエピソードから、両親との関係は十分に想像が出来るようになっている。)
★ジョーとの友情は、「サイドカー付き自転車」を目にした瞬間に、確信を持って伝わってくる。このビジュアルだけで、詳しい説明は不要! という感じ。サイモンの死後、サイドカーがついたままの自転車で走るジョーの姿がいい。まるでサイモンがそこにいるかのよう。
★ジョーの父親が明らかになり、それを伝えるために急ぐサイモンとベン。でも、その到着より前に司祭が自ら告白する・・・この構成は何故なのかな? どういう意味があるんだろう。いずれにせよ、告白を決意させたのはサイモンとの対話、ってことだろうなあ。
★目覚めたジョーの前に並んで立つ二人の男。ジョーの選択。どちらが「本当の父親」なのか。答えを導き出す根拠もサイモンによってもたらされた、と言えるなあ。そして、サイモンにとっても「本当の親」はレベッカであり、ベンだったのだなあ・・・。
★ジョーが父親になっている現在。これこそが何よりの救い。
う~ん、こうやっていろいろ考えてると、子供たちを救ってサイモンが「英雄」になった件は、本筋ではない「サイドストーリー」にさえ見えてきます。これは少数派の見方かも。現在の私の何かが投影されているのかな? 数年後にまた観てみよう。どう見えるか楽しみです。
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