先日、映画「黒いオルフェ」を観ました。
ギリシア神話を基にした戯曲を映画化したものだとのことで、原作も読んでみたいなあ、と思って探してみたら邦訳があったので入手。
読んでみたら「あれ?」でした。
ネットで調べると「黒いオルフェの原作」として言及されていることが多いのですが、全く別物です。
「原作」ではなく「原案」なのですねえ。
「戯曲のコンセプトを拝借して映画を作った」という感じです。
で、そのコンセプトは
「リオデジャネイロを舞台にギリシア神話のエピソードを」
「登場人物はリオに暮らす現代人」
「音楽(ギターとサンバ)が重要な役割を担う」
といったもの。
結果、映画もとても良いものになったと思うのですが、やはり「別物」ではあります。
切り離して鑑賞する必要があるなあ、と強く感じました。
ただ「映画を先に観てよかった」という点もあります。
音楽です。
ギターの音色と旋律、サンバの強烈なリズム。
これが耳に残っていたことで、文字で戯曲を読みながら、舞台上で繰り広げられる劇をイメージすることができました。
前置きが長くなりましたが、ここからが戯曲の感想などです。
第一幕は悲劇の発端。
結婚の約束をしたオルフェウとユリディス。
オルフェウに捨てられたミラ。
ユリディスへの想いが叶わないアリステウ。
これだけ揃えば、ありがちな事件が起こるよねえ、なのですけど。
何だかそう単純ではないと感じさせるのが、オルフェウの母クリオの言葉。
ユリディスが好きならつきあえばいい、一緒に暮らせばいい、でも結婚はやめて、と言うのです。
悪いことが起きそうな予感がする、というのです。
母親の直感、なのかなあ。
でも、それだけではないような。
嫉妬とも違う。
まるで「オルフェウは皆のもの、オルフェウの音楽も皆のもの、だれか一人の女に捧げてしまうべきものではない」と言っているみたいなのです。
う~ん、よくわからないなあ。
不思議な感じです。
もうひとつ不思議なのが「黒い婦人」の出現のタイミングと発言の内容。
ごく普通に考えれば、アリステウがユリディスへの殺意を抱いたから死神が登場した、ってことになるのだろうけど。
でも何だか違うようです。
黒い婦人はアリステウがユリディスを手にかける前に「ユリディスは死んだ」と言ってます。
まるで、ユリディスがオルフェウに身を捧げたことイコール死、みたいに。
まるで、もともと二人は結ばれてはならない運命だった、とでも言っているようです。
第二幕の舞台は、クラブ「冥府の悪魔たち」。
この場面は、実際に演劇として観てみたいです。
ユリディスを探しに丘から下りてきたオルフェウのギターと、パーティのサンバの対決。
作者は、音楽に合わせた役者の動きなど、細かく指定しています。
台詞の数は多くないけれど、緊迫したシーンの連続で、きっと目が離せない劇になるのだろうなあ。
結局、オルフェウはユリディスを見つけることはできず、狂気に陥ることになります。
第三幕の前半、場面はオルフェウの家の前。
クリオの嘆きの内容に驚かされます。
息子オルフェウが狂ったのはユリディスが死んだから、そのユリディスを殺したのはアリステウ、だからアリステウを恨む・・・にはならない。
オルフェウの心を惑わせたユリディスが悪い、と言うのです。
とんでもない筋違いにも思えるけれど、そうとも言い切れない面もあって。
丘の住人たちによって語られる、以前のオルフェウの姿。
穏やかで楽しく平和な暮らし。
それが失われたのは、オルフェウが皆に注いでいた愛と音楽を、ユリディス一人にだけ向けるようになったから、と言えなくもないのですよねえ・・・悲しいことに。
第三幕の後半は、オルフェウの最期が語られます。
場面は酒場。
ミラのキスで一瞬正気に戻ったオルフェウがミラを突き飛ばし、その場にいた女たちに「消え失せろ、メス犬ども!」と叫びます。
それに反応した女たちがオルフェウを襲い、逃げるオルフェウを追い・・・
誰もいないオルフェウの家の前。
待っていた黒い婦人の前で、オルフェウは女たちに惨殺されるのです。
これは一体何なんだろう、と考えてしまいます。
もともとのギリシア神話を踏まえているのだろうけど。
私にはまるで「ユリディス一人だけを本気で愛したために罰を受けた」みたいに見えます。
理解は難しいけれど、とにかく衝撃的な最期です。
読んでいて楽しいとは言えない、難解な作品でした。
「傑作」というよりは「怪作」という感じ。
かなり強烈な読書体験だったことは確かです。
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