連休最終日、部屋にこもって「ビッグ・フィッシュ」を観ました。
大人になって父・エドワードと距離を置くようになった息子・ウィル。
最初のうち私も、ウィルの気持ちわかるなあ、でした。
なんでもかんでも話を大きくして尾ひれをつけて喋る。
どこまでが本当で、どこからが作り話なのかわからない。
ウィルの結婚披露宴でさえ、主役をそっちのけで喋ってしまう。
そりゃ嫌われて当然でしょ、と。
でもなぜか、ウィル以外の皆は、それを咎めたりしない。
母も、妻も、他の人たちも。
それどころか、エドワードの話を楽しんでいる様子。
エドワードの話は、いわば「英雄の冒険譚」のようなもの。
ありえないよねえ~、虚言癖のある人物なの?
などと考えながら観ていて、ふと気がつきました。
これって、もしかして、いわば「神話」みたいなもの?
面白く誇大に脚色されているけれど、起こったことの核心部分は事実、あるいは真実。
語り継がれるうちに変容、肥大していくのが神話だけれど、エドワードは自分でやっちゃってる。
周囲の人たちは、それを理解していて聞いてる、ってことなのかな?
エドワードに対する信頼と愛情があれば、別に問題ないんだよね。
じゃあなぜ、ウィルは父親を信頼できないの?
いろいろと考えながら観ていると、意外なほど単純なことだと判明します。
エドワードは仕事で家を長くあけることが多かったのだけれど、ウィルはそれを「母と自分以外に大切な人が存在するのではないか、自分は愛されていないのではないか」と感じてた!
いやいや、そうは思えないよ、そんなことないよ、とわかるのは外野だから。
案外、実の親子だと、こういう行き違いが起きがちなのかも。
ボタンの掛け違い、ってことだよね。
1個掛け違えると、全部がズレてしまう。
何を見ても聞いても「有罪の証拠」みたいになってしまうのでしょうねえ。
でも小さなキッカケから、ウィルは、父が他者の幸せのために動くことのできる人物であったことを知ります。
そして、父の愛した女性は母だけだったことも。
その視点から見ると、エドワードのほら話は「家族と人々を愛した英雄の生涯」として輝き始めるのです!
そしてウィルは最高の「ほら話」で父を送ります。
間に合ってよかった・・・。
エドワードの葬送の場面は圧巻です。
数々のほら話に登場した人たちが、現実の姿で現われるのです。
カールの身長は5メートルはないけれど、まぎれもなくカールです。
狼男ではない団長も。
下半身はひとつではないけれど、双子の女性もいます。
ああ、みんなエドワードと何かしらの体験を共有したのだなあ。
そしてエドワードに助けられたりしたのだろうなあ。
そして、ウィルは彼らからいろんな話を聞いて、父への理解をさらに深めたのだろうなあ。
どんな話なんだろう。
私も聞きたいなあ、と思ってしまいました。
お勧めの映画です。
ぜひぜひ。