「まみあな四重奏団」読みましたので、感想など。
ネタバレになる部分がありますので、未読の方は厳重注意です。
私、1961年生まれです。
「別マ」(別冊マーガレット)で槇村さとる先生を知った世代ってこと。
槇村先生の作品は若い頃たくさん読んでるのですが、この作品は今回初めて読みました。
存在は何となく知っていて「音楽一家の心あたたまる物語」みたいなイメージを持っていたのですけど、全然違ってました。
なかなかにヘビーで。
冒頭、「おとん」小泉楽太郎が捨て子を拾うところから物語が始まります。
読者には最初から、「双子」とされている和音と花梨のどちらかが、その捨て子であることが示されているのです。
そして、それはたぶん花梨なのだろうなあ、と思いつつ読み進めることなります。
花梨が秘密を知って、それでも前に進んで行く物語、それを包み込む家族の物語なのだろうなあ、と。
花梨がんばれ、応援してるよ! と。
それが、ある瞬間、くるりと反転します。
他の家族と血が繋がっていないのは和音の方でした。
そして和音は、もうずっと前からそのことを知っていて。
しかも、自分自身に「音楽でつながらなければ、音楽で望まれた子にならなければ」という強烈な呪いをかけてしまっていて。
「天才」と思われていた和音の本当の姿が明らかになった瞬間です。
でも、それが明らかになったことで、和音も、花梨たちも、家族として新たなスタートをすることが出来ました。
・・・という大団円でおしまいにならないところがスゴイ。
1巻の終わりには「つづく」とあります。
それが妙に不穏で。
まだ何か波乱があるの?
そして2巻「まみあな四重奏団 カノン」へ。
2年後、「双子」は18歳に。
「双子」が男女であったことが、これほどまでに意味を持つことになろうとは。
容赦ない展開です。
秘密が明らかになっても壊れなかった家族。
それはつまり、「この絆を壊すようなことをしてはならない」という新たな呪いを産む、ということ。
和音と花梨は、互いに男女として惹かれながら、この呪いから抜け出ることが出来ずに苦しみます。
二人の兄、有人と拓人も、状況を知って悩みます。
けれど、この二人の兄が大きな役割を果たすことになります。
迷いながらも、和音と花梨の新しい関係を、「本人たちよりも先に」受け入れるのです。
この展開、うまいなあ、と思います。
周囲は既に状況を受け入れていて、あとは本人たち次第、ってこと。
だから「本人たちが互いの愛を確かめ合って、そこからまた苦難の道のりがスタートする」にはならずに、キレイに物語を終えることができた、ってこと。
重ねてうまいなあ、と思うのは、「おとん」「おかん」が海外にいるタイミングだった、というところ。
まさに兄妹4人の「四重奏」になってるのですよねえ。
4人の心情や行動が絡み合って良い結果が導き出されて行く感じ、好きです。
もちろん読者には、帰国した両親がこの状況を受け入れるであろう、ということは容易に想像ができます。
だから、両親が不在で物語が進んでも構わないのだし、何よりも、もうみんな子供ではないのだよなあ、ってこと。
ところで。
「和音と花梨の結婚」はあり得るのか、というお話。
こういう話は聞きたくない、物語の余韻を壊されたくない、という方はここで離脱してくださいませ。
この問題、「可能である」というのが結論です。
あ、私、法律系の専門職です。
実際にこういうケースを扱ったことがあるワケではないので、「知識」として知ってるだけですが。
和音と花梨は、形式上は問題のない出生届を提出して受理され、戸籍に記載されていると思われます。
出生届に必要な「出生証明書」は一体どうしたんだ? という点も作中にヒントがあります。
「おかん」君子は自宅での出産です。
「おかんびょうきなのか?」と心配する有人と拓人に、祖母が「赤ちゃんが生まれるのよ 大丈夫 国立のおばちゃんはお医者さんだからね」と答えるシーンがあります。
「国立のおばちゃん」は君子の姉なのか妹なのか、とにかく身内の医者が出産に立ち会ってた。
で、その医者が和音の虚偽の出生証明書を書いた、ってことなのでしょうねえ。
和音と花梨は、戸籍上は同じ小泉家の「三男」と「長女」ですから、このままでは仮に婚姻届を提出したとしても受理されることはありません。
じゃあどうするか。
「そもそも事実と異なっている戸籍」を訂正して、その後婚姻届を提出する、ということになると思います。
2巻の終盤に、長男の有人が祖母を訪ねて「もし 和音と花梨が結婚したいっていったら可能か?」と問う場面があります。
祖母は「そりゃできるよ あたり前だろ 赤の他人の子で 楽太郎さんと君子が善意で拾ったって あたしがおかみに証言すりゃいいだけよ」と答えます。
この祖母が、どこまでわかってこの発言をしているのかは不明ですが、親子関係を否定するための手続きが実際に存在します。
この作品が書かれた当時のことは正確にはわかりませんが、現在(2025年)では、まずは家庭裁判所に「親子関係不存在調停」を申し立て、調停が終わったら小泉家の戸籍の訂正をして、和音については新しい戸籍を作成する、ということになるのかなあ、と。
現在ならDNA鑑定を行うのでしょうが、この作品が書かれた頃はまだ一般的ではなかったと思われます。
家庭裁判所は、関係者からの聞き取り調査の結果などを総合して判断していたのでは、と思います。
「・・・って あたしがおかみに証言すりゃいいだけよ」という祖母の発言は、裁判所の調査に積極的に対応する用意がある、という趣旨なのだと思われます。
さて。
ここから先は私の妄想です。
とんでもない的外れだったとしたら、槇村先生ゴメンナサイ、です。
和音が小泉家の敷地内、花梨の木の下に置かれていたのは、小泉夫妻の子がまさに生まれようとしているタイミングでした。
そして小泉夫妻はその拾い子を我が子として育てることをほとんど即決しています。
そんなことってある?
あまりにもリアリティに欠けるのでは?
いや、実は小泉夫妻には何かしら心あたりがあったのでは、と妄想してしまうのです。
後に和音は「家族でありたい」という願い(呪い?)からヴァイオリンに取り組むことになるのですが、それにしても才能がありすぎる。
和音の母親は、小泉夫妻と関わりのある音楽関係者なのでは?
密かに出産したものの育てることができずに小泉夫妻に託したのでは?
だとしたら、もしももしも、更に続編が書かれるとしたら、和音の母親の登場があるのでは?
・・・最後は私の妄想全開になってしまいましたが、久しぶりに槇村先生の作品を読むことができて、とてもとても充実の時間でした。
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