「プラダを着た悪魔」観ました。2回。
1回目、実は途中で離脱しようかと思ったのです。
ミランダのパワハラっぷりが不快で。
結末を確認する目的だけで最後まで観た、という感じ。
それっきりのつもりだったのだけど、何だか引っ掛かるものがある。
丸一日ぐらい、何なんだろうなあ、と考えてました。
そして、もしかしたら私は「2025年現在の常識」に囚われているのかも、と気がついたのです。
この映画は2006年の公開です。
当時、とても人気だったとのこと。
当時の一般的な価値観からは否定されなかった、ということです。
私の視点は、今の価値観に引っ張られた一面的なものだったかもしれない。
よし、もう一度観てみよう!
という次第で、次の日に再度視聴。
そしたら面白かった。
ミランダの姿は、アンドレアの「あり得た未来の姿」なのですねえ。
もしもアンドレアがミランダと決別せずについて行ったとしたら。
めちゃくちゃ仕事ができて、結婚もして、子供を産んで、離婚して、再婚して、また離婚して落ち込んで一瞬立ち止まるも、再び前進していく。
アンドレアもまた、同じ道をたどることになったのかもしれない。
ミランダの周囲に対する要求は気まぐれでメチャクチャ。
でも、よ~く見ると、全てが理不尽なワケでもないのですよねえ。
仕事上、本当に必要なのだろうなあ、というものもある。
もちろん、「純粋に理不尽」というものもあって。
でも、そこには理由があるようです。
「理由」というよりは「背景」と言った方がいいかもしれません。
嵐で飛行機が欠航になって、出張先から戻れなくなったミランダ。
アンドレアに「とにかく何が何でも代わりの便を手配せよ」と命じます。
どう考えても無理なものは無理で、手配できなかったアンドレアに落度はありません。
それなのに、ミランダはアンドレアを責めるのです。
これって・・・やつあたり? ですよね。
子供たちの音楽会に行けなかったから。
その裏にあるのは「母親としての役割を果たせなかった罪悪感」のようにも思えます。
それを部下にぶつけるのは、今ならもちろん「パワハラ」です。
でも、その背後にあるかもしれない心理は了解不能ではありません。
「わかる気がする」と感じる女性も多いのでは。
もちろんミランダの行動を容認するものではありませんが。
「ハリーポッターの(未刊行の)最新巻をゲットせよ」はもう明らかに、理不尽の極みです。
私生活がうまくいっていないことを部下に見られた意趣返し。
でも、これも裏には「子供たちに理想の家庭を与えられない」という辛い気持ちが隠れているようにも思えます。
とはいえ、これはもう「一発アウト!」のパワハラですよねえ。
アンドレアが「辞める」と決めたことは、極めてまっとうな判断です。
が・・・
なんと、ハリーポッターの最新巻、調達できてしまうのです!
ゲームオーバーのはずが、繋がってしまった。
そして物語は俄然、面白くなっていくのです。
同時に、アンドレアにとってはターニングポイントでもありました。
暗黒面? への転換点。
エミリーの交通事故がなかったとしても、アンドレアはパリへ行ったでしょう。
そのまま突き進んでアンドレアがミランダ化したとしても、物語としてはアリ、と思えるほどスリリングな展開となっていきます。
でも、結局アンドレアは自分の道を選びました。
鮮やかに、爽快に。
アンドレアが「こちら側」に来ないと知ったミランダの胸は、少しばかり痛んだことでしょう。
それでもまた進んで行くのがミランダ。
そうでなくちゃ、です。
パワハラは控えてね、とは思いますが。
さて。
来年、2026年に「プラダを着た悪魔2」が公開されるとのこと。
楽しみです!