成見和子のブログ

日々雑感、ジャズ歌詞、映画、読書。法律用語解説も始めました。

紛争覚悟で自分の希望を実現したい時にこそ効くのが遺言。

遺言に関する情報、多いですよねえ。

雑誌などでも頻繁に特集されますし、個人による発信も多いです。

 

実は私、ちょっと不思議に思うことがあるのです。

ほとんどが「紛争予防」の文脈で語られてる。

しかも「遺言してほしい」側からの視点によるものが多い。

「将来モメないために、今のうちから親に遺言を書いてもらいましょう」みたいに。

 

遺言って、そもそも何のためにあるものでしょう。

自分が死んだ後のゴタゴタを回避するため?

もちろん、それは否定しません。

でも、それが本質ではない気がします。

遺言の本質は「自分の財産の行方は自分で決める」ところにある、と私は思うのです。

 

生きている間、自分の財産については自分で決めるのがアタリマエ。

他から不当な介入を受けるいわれはありません。

でも、死んでしまえばそれまで。

・・・ではあるけれど、最後の最後に一回だけ、自分の財産の行方を決めておける、それが遺言。

もちろん、遺言の内容によっては紛争が回避できることもあるでしょう。

でも、それは副次的な効果であって、遺言の本質ではないと思うのです。

そもそも遺言者には「紛争にならないように配慮する義務」なんてものはありませんし。

 

複数の子供がいたとして、そのうちの一人を何としてでも守りたい、財産を残したい。

そんなことって、ありますよね。

誰だって紛争は避けたいでしょうけど、その気持ちを上回る事情が存在することもありますもんね。

 

何らかの事情で「全財産をAに相続させる」という遺言をしたとしましょう。

遺言の威力は単に「決めておける」ということではなくて、「実際に手続きができる」というところ。

きちんと作成された遺言書があれば、Aが単独で不動産の名義変更や預貯金の手続きが出来るのです。

他の相続人の同意やらハンコやらは不要、ということ。

紛争が予想される場合には、これが効きます。

まずは相続の手続きをしてしまう。

他の相続人から文句が出れば、それから対応すればいい。

そういう割り切りが出来るなら、あるいはそう割り切るしかない状況の時に、遺言の効果が最大限発揮される、と言えるのです。

 

遺言に関する解説には、お決まりのように「遺留分に気をつけましょう!」という言葉が入っています。

でも、これも「遺留分を侵害する内容の遺言をしてはならない」という意味ではありません。

遺留分侵害額を請求するかどうかは、侵害された側が決めることです。

遺言者は「請求されないかもしれない」に賭けてもよいのです。

もしも請求されたら対応するしかないのだ、という理解と心づもりは必要ですが。

 

話はちょっと脱線しますが・・・

実は「簡単に遺言の威力が破られてしまう場面」というのが存在します。

それは、相続人全員が仲がよくて円満な場合。

「遺言書は放っておいて、自分たちの話合いで決めよう!」が出来てしまうのです。

せっかく遺言書にいろいろと書いてくれていても、その内容が相続人たちの現状に合っていなかったりすると、そんな展開になることもあるのです。

これがOKなのかというと、相続人全員の合意があればOKです。

そんな時には遺言は無力です。

「平和な無力」ですが(笑)

 

円満で平和な時には簡単に無視されてしまうこともある遺言ですが、実は「平和が望めない」時にこそ威力を発揮する側面がある、ということにも注目していただければ、と思います。

 

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