「どうにもならないこと」って、ありますよねえ。
それに対して「それを何とかするのが専門家でしょ」と言われてしまうと「じゃあ専門家やめます」と言いたくなってしまいます。
私の経験では、こんなことがありました。
「知人にお金を貸したが返してくれない。何とかしたい。」という相談。
よくよく事情を聴いてみると、先方が借金を返さないのは「本当の本当にお金がないから」でした。
返せないのです。
どうしようもないのです。
相談者は「訴訟してでも取り戻したい」と言います。
で、私は「訴訟して勝ったとしても、ないものは取れないのですよ。」と説明したのですが・・・
「それを何とかしてほしいから法律の専門家に相談してるんです! 何のために専門家が存在するのですか! それじゃあ意味ないでしょ! おかしいでしょ!」と言われてしまいました。
気の弱い私は「おかしいのは貴方の方です。そもそも貴方は返せない相手にお金を貸すべきではありませんでした。リスクを負うのは貴方自身です。専門家は万能ではありません。どうしようもない場合もあるのです。」とは言えず、小さな声で「スミマセン・・・」とつぶやいたのでした。
こういうことが重なると、「だったら、もう専門家やめようかな」という気持ちになってしまいます。
というか、私は実際に訴訟分野の相談を受けるのをやめてしまいました。
医療分野はもう少しスッキリしてるのかなあ。
治らない病気、ってありますよね。
それに対して「オマエは医者なんだから、専門家なんだから、治すべき!」と主張する人は少ないように思います。
感情的になって「それを何とかするのが医者でしょ!」と叫ぶ人はいるかもしれませんが、それでも心の底では「実はどうにもならないのだよなあ」という理解はしているのでは、という気がします。
一方で、介護・看護の世界では、いろいろと問題がありそうです。
たとえば認知症の高齢者が病院や施設内で転倒するケース。
時々訴訟になって世間の注目を浴びることになります。
実際には、日々多発しているのですけど。
(私は「専門職後見人」として活動していて、「○○さんが今朝転倒されまして・・・」といった連絡を受けることも多いのです。)
世間で話題になった場合によく言われるのが「人手が足りないのが問題! 人員の配置基準を見直せ!」ということ。
確かにそういう面はあるのですが、それが全てではないとも感じます。
人員の配置を手厚くして避けられる転倒もあるだろうけど、「それでも避けられない転倒」もあるだろうなあ、と思うのです。
だって、すべての方に24時間誰かが張り付くなんてこと、出来ないですもん。
もちろん「拘束」なんてのは論外で、特別な事情がなければ許されません。
それに、この頃は「動かないで待っててね」というのも「言葉による拘束であり、避けるべき」という理解が広まっているらしくて。
「行動を制限してはならない、その上で転倒を100%防げ」って、いやいや、そんなのムリでしょ。
「どうにもならなかった」ケースって、あると思うのです。
それに対して「介護職や看護職は専門家なのだからきちんと対応すべきだった」と言われてしまうことが重なると何が起きるか。
「じゃあ専門家やめます」になってしまうと思うのですよねえ。
もともと不可能なことを求められてるワケで。
割に合わないワケで。
やってられない! になっても仕方がないのだろうなあ、と思うのです。
その結果、介護職や看護職が足りなくなっても、それは当然のこと。
そういう流れになるのはアタリマエだろうなあ、と思うのです・・・。
★こちらの記事もどうぞ