2022年から2023年にかけての年末年始、私は「室町時代」にどっぷりと浸かっておりました。
きっかけは、ゆうきまさみ先生の漫画「新九郎、奔る!」。
これまでに8巻まで読んで、多忙のため止まっていたのを、改めて最初から読み直した上で、未読だった9~11巻を読んだのです。
やっぱり面白い、最高!!
と思いつつ、背景の歴史知識の不足を痛感しまして。
参考になる本はないかなあ、と探してあれこれと読みあさったのです。
その中の一冊がこれ。
「室町は今日もハードボイルド」。
副題は「日本中世のアナーキーな世界」です。
著者の清水克之先生は歴史学者でいらっしゃいますけど、この本は「学術書」ではありません。
清水先生のナビゲートで室町時代のリアルを覗いてみよう! といった趣旨の本です。
いやいや、面白かったです。
現代、令和の時代を私なりに表現すると「窮屈な時代」。
たいして読まれもしないブログ記事一本書いて公開するにも、「不適切な表現はないだろうか、炎上しないだろうか」と気を使いっぱなし。
ほんの10年前、20年前にはOKだった表現や考え方が、今では全く許されずに攻撃の対象になってしまいます。
そんな萎縮した気分でこの本を読むと、本当にビックリ。
まさにハードボイルド、アナーキー。
滅茶苦茶、カオス、意味不明。
とんでもない時代だったのだなあ、と思い知らされます。
たとえば第1部第2話の「びわ湖無差別殺傷事件」。
「海賊」のお話です。
琵琶湖に面した堅田という町で水運業などを行いながら、時に海賊行為を行っていた兵庫という青年。
ある時、大金を所持した一行(自分の船の客!)を襲って子供を含む10数名を殺害。
アナーキーな室町時代でも、さすがにこれは大騒ぎになって、兵庫の父親が責任を取って切腹。
兵庫は衝撃を受け、俗世を捨てて信仰に目覚める。
このお話のキモは、兵庫が信仰に目覚めた原因が「自分の行いによって父親が死んでしまった」点にあること。
「大量殺人をしてしまったこと」が動機ではないのです!
それが、この時代の感覚、感性だったというのです!
いやいや、何とも理解不能です。
ただ、清水先生の手にかかると、「理解不能」に思えるものが「全くわからないワケでもないかも・・・」に変わります。
「人間の生命は等価ではない」という感覚は、現代の我々にもあるのでは? というのです。
海外でのテロや事故の報道で、決まって「この事件での日本人の犠牲者は確認されませんでした」と述べられること、それを聞いてちょっと安心してしまう我々の感性・・・清水先生のツッコミは鋭いです。
こんな調子で全16話が語られます。
この本を読んでから改めて「新九郎、奔る!」の1~11巻を読み返してみました。
新九郎を取り巻く景色が変わって感じられました。
お勧めです!
あ、どっちをお勧めなのかわかりませんよね。
「新九郎、奔る!」「室町は今日もハードボイルド」どちらもお勧めです!!