ふと思い立ってフランシス・ホジソン・バーネットの「小公女」を読みましたので感想などをメモしておきます。
今回読んだのは、角川文庫・羽田詩津子訳のものです。
ネタバレになる部分がありますので、未読の方はご注意ください。
・・・って、私と同世代の女性なら「未読の方」は少ないのでは、という気もします。
もちろん私も数十年前に夢中になって読みました。
あまりにも昔のことだったので、実はどんなお話だったかも忘れてました。
改めて読んでみて記憶がよみがえり、そうそう、そうだった、と懐かしかったです。
いちばん好きなシーンが当時と今とで変わっていないことも確認。
ちなみにそれは、目が覚めると屋根裏部屋が様変わりしていた場面。
あ、私は現在61歳。
「当時」というのは50年以上前、ってことになります。
それだけ時間が経っても「心に刺さるツボ」は同じだ、ってこと。
人間、本質的なところはあまり変わらないのかも。
ちょっと笑ってしまいました。
あれ? と感じたこともありました。
この作品、こんなに内容が濃かったかな?
セーラの人物像って、こんなに生き生きと描かれていたっけな?
私の読解力が上がったの?
いや、もしかしたら・・・
当時読んだのは、原作そのものではなかったのかもしれない!
子供向けの翻案だったのかも!
そういえば挿絵がすごく多かったような気がする・・・。
今となってはわからないのですが、その可能性が高いです。
どうやら原作(日本語訳ですが)をきちんと読むのは実は今回が初めてらしい・・・。
子供の頃には主人公セーラを「非の打ち所のない完璧なお嬢様」みたいに感じていた記憶があります。
良くない感情や考えを一切持たない天使のような女の子、みたいに。
案外そうでもないじゃん、が今回読んだ印象。
「上から目線」な考え方をすることもあるし、時にはネガティブになったりもするけれど、それでもやっぱり魅力的な人物。
自分の中に湧いた感情や考えをしっかりと内省して、行動を自律していく人物。
そんなふうに感じました。
7歳のセーラは、物事の本質を突く大人びた言葉を連発します。
それは父親にとっては可愛くてたまらないもの。
私も読みながら「こういうタイプの賢さ好きだわ~」と思いました。
でも、相手によっては「自分の痛いところを直接突いてくる」感じになるのだろうなあ。
だから「合わない」相手には受け入れられず排除されてしまう。
セーラとミンチン先生の関係がそれ。
最初から互いに「合わない」と感じ取っている。
でも「お金」が絡むことで問題は先送り。
セーラが「お金」を失った途端、ミンチン先生は我慢する必要がなくなって攻撃を開始することになるのです。
・・・みたいな読み方は子供の頃にはできなかったなあ。。。
アタリマエか。
「お金持ち」の描写はちょっとエグい。
父と娘が買い物しまくる場面とか。
セーラが着ているコートやドレスの描写とか。
でもやっぱり楽しい。
贅沢なお洋服やら何やらは、いつの時代も女の子の憧れ。
還暦過ぎても、そこは変わってなくて。
想像力が掻き立てられるのですよねえ。
ここでちょっと問題が。
私はとても懐かしく、かつ新鮮に読んだのだけど。
これを2022年の日本の子供たちにお勧めしてもよいのだろうか?
例えばセーラとベッキーの関係。
最終的にベッキーは学校の下働きから解放されてセーラのお世話係になる。
この物語の中では、それはもう、これ以上ないぐらい幸せな結末。
でも、現代の日本でそういった「身分の上下」みたいなことはNGですよねえ・・・。
何かしら注釈なり説明をすればOKなのかな。
現代の子育て世代の意見を聞いてみたいところです。
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