成見和子のブログ

日々雑感、ジャズ歌詞、映画、読書。

ブログにコメント欄を設置していない理由。

このブログにはコメント欄がありません。

なぜかというと、私が設置していないから。

なぜ設置していないかというと、コメントは欲しくないから。

なぜコメントが欲しくないかというと、面倒だから。

変なヤツだと思います?

交流を求めていないのです。

交流にはエネルギーが必要。

私はエネルギーが薄~い人間なので、疲れてしまうのでございます。

考えたことを文にまとめて公開するだけで元気を使い果たしてる状態。

そこへコメントが来たら読まなくちゃならない。

読んだら何かしら感情が生まれるので消耗します。

それがプラスの感情であっても。

そして、コメントをいただいた以上は返信せねば、と思います。

(私は礼儀正しい人間なのでございます。)

返信は文で書かねばなりません。

私にとって「文を書く」は簡単なことではないのです。

 

あ、今気がつきました。

ズレがあるのですねえ。

2022年の現在、「他人の発言にコメントする」ことは、とても気軽で日常的な行動のようです。

ツイッターなどのSNSに流れてくるいろんな発言に条件反射的に「いいね」したりコメントしたりする。

たぶんそれほど深い意味はないのだと思います。

井戸端会議が全世界に広がった感じ?

思いついたこと、頭に浮かんだことをストレートに、そのまま文字にして投稿する、それでOKな時代みたい。

でも、1961年まれの私にとっては、「書く」ことはもっと重いのです。

一語一語を吟味して、これで大丈夫、全世界の誰に読まれても私は責任を持つ・・・そこまで考えて投稿する。

それが私にとっての「書く」なのです。

(ちょっと大げさかな、スミマセン。)

イマドキの感覚の「コメント」に対して、私の基準の「書く」でいちいち返信したら・・・そりゃ疲れるのはアタリマエ、ですよねえ。

エネルギーのバランスが悪すぎ、ですもの。

だったら、最初からコメントは受け付けない、そんな態度もアリでしょ?

 

だったら記事を公開なんてするなよ! と突っ込まれそうですね。

でも、書いた以上はやっぱり読んで欲しい。

ヤヤコシイですねえ(笑)

読んでいただけたかどうかは「アクセス解析」などである程度わかります。

その数字で一喜一憂してる自分がいる、それは事実。

でも個別の反応に対応するのは面倒な自分がいる、それもまた事実なのです。

 

ご理解いただければなあ、と思います。

 

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