「明日の記憶」観ました。
途中、かなり辛くなってしまいましたが、最後まで観ました。
楽しい作品とは言えませんので、「ぜひ観て!」とお勧めはできないです。
でも私は観てよかった、と思います。
以下、断片的ですが感想など。
★音楽がドヴォルザークの交響曲第9番「新世界」の第2楽章に似てる!
もしかして似せているのかな?
新世界の2楽章をそのまま使ってもよかったんじゃないか、と思ってしまった。
「家路」というタイトルでも知られているし、この映画にピッタリ。
でも、もちろん映画用に作られた曲も素敵。
演奏もいい! オーボエは宮本文昭さんです♪
★2010年秋。主人公の日記は空白。
★2010年のシーンで妻がお茶を飲む湯飲み。実は、この物語のとても重要なアイテム。
★ボードに貼られた写真たち。
二度目に観たときには、思わず再生を止めてひとつひとつ確認してしまった。
そして改めて涙が出てしまった・・・。
★話は2004年春に遡る。
若年性アルツハイマー病は6年半でここまで進行する、ってことだ・・・。
★「やり手部長」の描写からすぐに続く「人の名前が出てこない」描写。
ここからもう、このあとに続く出来事の予感があって、観ている方は辛くなりはじめる。
★俳優の名前が出てこない、鍵が見つからない、高速の出口を通り過ぎてしまう・・・とたたみ掛けるように進んでいく。
次々と起こる奇妙な事態。
本人も何かおかしい、と感じ始める。
受診、検査、告知・・・このあたりで観るのをやめようかと思ってしまった。
あまりにもリアルで。
これは近い未来の自分の姿なのでは、と思わせられて辛い。
ただ、ここを避けずにきちんと描いているのがこの映画のよいところ。
観る側もきちんと向き合わなければ、と思う。
★そして主人公は日記を書き始める。
冒頭に出てくる空白のノートへとリンクするシーン。
切ない・・・。
★陶芸教室へ通い始める夫婦。
ああ、そうか。
家庭をかえりみずに仕事に突っ走って来た夫と、家や子供のことをすべて引き受けて来た専業主婦、ありふれた夫婦に見えた二人の原点はここなのか・・・。
★娘の結婚式のスピーチを乗り切るシーン、よかった。
そばに誰かがいてくれることの力、ってすごい。
★退職、孫の誕生。
病気は進行するが、楽しい時間もある。
このまま穏やかに時が過ぎていってくれればいいのに・・・。
★2007年。主人公の自宅での生活に限界が近づいている。
妄想、自己否定、そしてついに、暴力。
★自ら介護施設を見に行く主人公。すごい展開だ。
実際にこんな行動を取る人はいるんだろうか。
原作にはモデルとなった人物はいるんだろうか。
いたとしたら、その人も同様の行動を取ったのだろうか。
いろいろと謎だけれど、主人公に最後に残された理性、ってことになるのだろうか。
★そこから先の主人公の行動は、客観的に見れば「徘徊」ということになるのだろう。
映画では主人公の「主観的な体験」を描写していくことになる。
思い出の地に導かれ、いるはずのない人と語り合う。
そして未完成だった湯飲みを完成させる。
忘れてはならない妻の名前を刻んだ湯飲みだ。
そして・・・まるで「やり切った」かのように、妻の記憶は主人公から消える。
前半のリアルさが際立っていたのに比べると、後半の自宅介護の厳しさは伝わり切っていないようにも思えます。
でも、ドキュメンタリーではないのですから、何でもかんでもリアルに見せるのがよいとも言えませんし。
もしかしたら演出上の「ここまで」という判断なのかもしれないです。
個々のエピソードで十分に伝わっている、という評価も可能です。
私は介護現場に関わったことがあるために、実際はもっと大変なんだけどなあ、と感じてしまうのかもしれません。
とにかく、見応えのある作品でした。
原作も読んでみようと思ってます。