私は現在62歳。
どんどん老化してます・・・。
生物なのだからアタリマエなのだけど。
家の中で失敗して「あーあ」となるだけならよいけれど、やっぱり外でも失敗してしまうことが多くなりまして。
そうすると恥ずかしいこと、情けないこと・・・。
このごろ頻発するのが、お店での「聞き返し」と「お金の間違い」。
聴力が落ちているのでしょうねえ。
早口で何か言われると聞き逃してしまいます。
で、聞き返すと面倒くさそうな反応が・・・。
けっこう傷つきます。
そして「○○円です」と言われて財布からモタモタとお金を出すと間違ってる。
100円のつもりが50円玉を出したりして。
視力が落ちているのでしょうねえ。
色は同じですし。
それから指先が不器用になりました。
見分けられたとしても、つまみ出すときにうまくいかずに違う物を出してしまうのです。
昨日はコンビニで100円玉を4枚出したつもりが、そのうち1枚が1円玉でした・・・。
後ろにお客さんが並んでいたりすると焦ります。
みんな「あーあ、どうしようもねえババアだなあ、あんな風になりたくないよなあ」と思ってるのだろうなあ・・・。
自分だってなりたくてなってるワケじゃないんですけどっ!
もちろんいろいろと工夫はしてます。
レジに表示される金額を目視で確認する、とか。
使いやすい財布を選ぶ、とか。
でも、老化そのものは仕方がないよなあ、と考えてます。
いわゆる「アンチエイジング」の世界には踏み込まないことにしてます。
意識低いねえ、そんなんだから老けるんだよ、と思われますか?
でも、何だかイヤなのです。
何か違うんじゃないか? と感じるのです、直感的に。
たまたま読んでいた本の中に、この違和感をうまく説明できそうな言葉を見つけました。
それは「問題」と「課題」。
この言葉を私なりに定義してみました。
問題:本来起こってはならない事柄。もしも起きてしまったら原因を突き止めた上で、今後は起こらないようにすべきもの
課題:社会や人間の性質上、どうしても起こってしまう事柄。よりよい状況に向けて工夫を重ねていく必要があるもの
これに当てはめてみると、、私にとって「老化」は「課題」のようです。
でも、アンチエイジングを叫ぶ人たちにとっての「老化」は「問題」に近い性質のものなのでしょう。
「生き物だからアタリマエ」。
これが私の基本の認識。
これを当然の前提として、そこからスタートするしかないでしょ、と考えているのです。
アンチエイジングの考え方は「前提を崩したい」なのだと思います。
どうやらこれが違和感の正体のようです。
どちらが正しいのかはわからないけど。
アンチエイジングにはまる人たちを批判するつもりもないけれど。
私は私、これまでどおりにやっていこうと思います(^^)
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