成見和子のブログ

日々雑感、ジャズ歌詞、映画、読書。

「老後の生活費」に基準なんてないのだ。

数年前に「老後2000万円問題」が話題になったことがありました。

「なぜそんなに騒ぐ?」と驚いたのを覚えています。

数字は数字、自分は自分。

平均値やら何やらは、国全体の状況や動向を把握するのには役立つけど、「自分はどうするか」は全く別問題。

あの騒ぎで「自分のことは自分で考えて行動しなくちゃならない」と気がついた人は多かったはずで、その点はよかったと思うけど。

私も「老後」が迫っている世代だけど、超シンプルに考えてます。

「使えるおカネの範囲内で暮らす」。

これだけ。

これさえ守れば大丈夫。

だから、「世帯の年金収入の平均は○○万円」には何の意味もなくて、必要な情報は「自分の年金はいくらなのか」ということ。

これは調べればわかること。

(そして、その結果「今の暮らしをそのまま続けるには年金では足りない!」と判明する人がとても多い・・・というのが「老後2000万円問題」の本質だと思うのです。)

「老後の生活費はいくらかかる?」という一般論にも意味はなくて、「自分の使えるおカネの範囲内で暮らすにはどうすればいい?」というのが正しい問いだと思う。

「老後」まで時間がある世代なら「不足分をどうやって貯める? 投資した方がいいの?」という話になるかもしれないけど、すぐそこに「老後」が見えている世代には無理のある話。

(ここを間違うと「退職金を投資につぎ込んで失敗」というパターンになるのですよねえ。)

で、「自分の老後はどんな暮らしになるのか?」という話。

「一般的な基準」みたいなものからスタートして考えちゃダメ。

「自分の現状」を冷静に見つめることからスタートするしかない。

自分の今の暮らしは実際に1年にいくら使っているのか、それを知る。

それと年金額・毎年取り崩せる貯金の額などを付き合わせれば「今の暮らし」の継続が可能なのかどうか、見えてくるはず。

というか、ほとんどの場合は「現実を突きつけられる」ことになるだろうなあ、と思います。

ここで逃げないこと、これが肝心だろうなあ、と。

「生活の縮小」に向き合えるかどうか。

私は現在「向き合い中」です。

(そんな中で「おカネをかけずに一生楽しめる趣味は?」と考えたら、それが「書くこと」だった。で、このブログがスタートしたってワケ。)

ところで。

「使えるおカネの範囲内で暮らせば大丈夫」には実は前提があって。

「健康」が大前提になっているのですよねえ・・。

ここが崩れると回らなくなる。

だから、できれば余裕資金を持っておきたいところ。

なので私は「使えるおカネの範囲内からもう少し頑張って縮小した暮らし」を目指してます。

ちょっと強めの縮小を頑張って、健康なまま歳を重ねていければ、その分余裕が増えていく、ってワケ。

そしてもう一つ。

その余裕を子供や孫につぎ込まない、ってこと。

教育資金の贈与で税金の優遇だとか、ああいうのに乗せられないこと。

自分が要介護になって自宅生活ができなくなって、でも老人ホームへ入るおカネがない、そんな展開になったら本末転倒。

下の世代に貢献するつもりが逆に迷惑をかける羽目になってしまいます。

子供も孫も可愛いけど、それはそれ。

頭はクールに、です(^^)