成見和子のブログ

日々雑感、ジャズ歌詞、映画、読書。

PLAN75【ネタバレ注意】

映画「PLAN75」観ました。

断片的ですが感想などをメモしておきます。

 

★冒頭の殺人犯。ネット上では「英雄」扱いする者も多かっただろうなあ。そこから「PLAN75の世界」への道は遠いようで案外近いのかもしれない。

 

★団地の郵便受け。チラシが入ってる。チラシ配りが回ってくる場所、つまり人が生活してる場所だってことだ。

 

★部屋にグリーンがあるのは、気持ちの余裕、張り合いの象徴。食事もきちんとしてるミチさん。

 

★老人ホーム入り口でのボディーチェック・・・事件の多発以来なんだろうなあ。冒頭シーンを思い出してしまう。

 

★高齢者集団検診会場でPLAN75の宣伝、エグいよ・・・。と思ったら、電源コードを引き抜いてプロモーションビデオを止めちゃうオヤジ出現。最初はビックリのミチさんだけど、ふふっ、と笑う。まだ「自分には関係ない」と思ってるのだなあ。

 

★民間の「プラチナプラン」かあ。金持ち向けコースもあるのだなあ。ミチさんの複雑な表情はどういう意味だろう? 「結局はPLAN75を利用して死ぬってことよね、同じことよね、私はイヤ。」なのではないかなあ。

 

★イネちゃんちにお泊まり。一緒に買い物しておうちでごはん。バスがなくなるから帰る、泊まっていきなよ、が仲良し女子な感じでいいなあ。こういうのを幸せっていうんだよねえ。

 

★ベンチをホームレスが寝られない仕様へ、の場面が衝撃的。炊き出し会場のPLAN75受付デスクの「住民票がなくても利用可能です!」も衝撃的。「ホームレスが寝られないベンチ」は実際にあるみたいで、でもそれは「どこかよそへ行ってね」というレベル。PLAN75の世界では「あの世へ行かせる段取りまでやっちゃう」ってことだ。

 

★イネちゃんが倒れたのを直接は見せない。冒頭シーンもそうだったけど、「音」で表現。

 

★75歳の誕生日に申請・・・とっくに生きる気をなくしていた幸夫。

 

★郵便受けにチラシがない。取り壊しなのか、退去が進んで人がいなくなった団地にはチラシ配りも回って来なくなったのだなあ。

 

★電話に出ないイネちゃん。普段のミチだったら様子を見に行くところなのだろうけど(しかも「倒れたのが家だったら助からなかった」と「予言」してた)。でも自分のことで精一杯で、すぐには行けなかった・・・。

 

★「家賃2年分先払い」ができないミチ。78歳まで働いていたのは「余裕」のためではなく「必要」だったのだなあ。生活保護は避けたい、という気持ちが痛々しい。

 

★私、一瞬「家賃2年分ぐらいのお金は貯めておくべきだったのでは?」と思ってしまった。私にも「自己責任」の考え方が染みついてる。怖い。

 

★生活保護の窓口「本日分受付終了」は水際作戦では? と思ってしまった。

 

★炊き出しを受け取ったミチ。「人様のお世話になる」「施しを受ける」は彼女にとっては耐えがたいことだったはず。ここが限界だった・・・。

 

★死ぬと決めてから、特に成宮と直接会ってからのミチの声に張りがあって美しい。一方の成宮は追い詰められていく。まるで重荷がミチから成宮へ移ったみたいだ。

 

★その日の朝に限って起きられなかったという幸夫。もしかしたら最後にヒロムと会いたかったのかもしれない。けれど「やめる」とは言わない。最期の時を共に過ごしながら、ヒロムもまた追い詰められていく。

 

★成宮とヒロムの「これは違う! 間違っている!」という心の叫びが聞こえて来そうだ。

 

★縄跳びをする女の子。ミチもかつてはこうだったはず。そして、この女の子もいずれはPLAN75の対象者だ。

 

★隣のベッドで処置がスタートする。死んでゆく男(幸夫)を見つめるミチ。ここでようやくミチは我に返ったのかもしれない。これは間違っているのでは? と。

 

★何かアクシデントがあったらしく、ミチの処置は始まらない。そしてベッドから起き上がったミチはマスクを外す。

 

★マリアは「これはおかしい」とわかっている。だからヒロムに手を貸した。けれど、その後も「汚い仕事、それゆえ高給な仕事」を続けていくのだろう。娘のためだから。

 

重い映画でした。

ミチはPLAN75の利用を自ら選択したのではない、選択へと追い込まれたのだ、ということが丁寧に描かれています。

PLAN75の世界はあり得る世界だ、現在私たちが生きている世界と地続きだ、と思います。

「それは違う! 間違っている!」と言える自分でありたいけれど、それはわからない。

「社会のために不要な人間は排除せよ!」とは決して思わないです。

でも自分自身が役に立たない存在になった時に、自ら「不要な人間なんていない!」と叫ぶことは出来ないかも。

結果として「捨てられる側」として「姥捨て」に加担してしまうかもしれない。

この映画の登場人物の中で自分に一番近いのは岡部幸夫なのでは、という気がするのです・・・。