成見和子のブログ

日々雑感、ジャズ歌詞、映画、読書。

私の「絵に描いた餅」は鏡餅。

「絵に描いた餅」って、便利な言葉ですよねえ。

私が特にこの言葉を使いたくなるのは「現場感覚からかけ離れた理想が公式に掲げられた時」。

自治体の「○○の人も安心して暮らせる町へ!」みたいな。

例えば・・・あ、やめときましょう。

今日書きたかったのは、私の「絵に描いた餅」は「鏡餅」だってこと。

「絵に描いた餅」と口にしたり文字で書いたりする時には、頭の中に「鏡餅の画像」が「ぼんっ」と浮かぶのです。

リアルな写真風のこともあれば、可愛いイラスト風のこともある。

でもいつも必ず「二段重ねの鏡餅」なのです、なぜか。

「網の上で焼かれてプーッとふくれてるおモチ」なんてことはないのです、絶対に。

何故なんでしょう?

たぶん理由は何もなくて、単純に、「そうなってるからそうなってる」ってことなのでしょう。

でもこれ、よーく考えたらおかしいのですよねえ。

「絵に描いた餅」はもともと「画餅(がべい)」という言葉で、中国の古い話に由来しているのですから、そもそも日本の「お餅」ではないワケで。

丸餅でも切り餅でもお鏡餅でもないワケで。

中国語の「餅」は、小麦粉に水を加えて形作って熱を加えた食品の総称だとのこと。

蒸餅、焼餅、油餅、湯餅。

肉まんだとか、クレープみたいなのとか、揚げパンみたいなのとか、ワンタンの類いとか。

ふむふむ。

それならば。

先日「それは絵に描いた餅だよ!」と叫びたくなった時に、頭の中に浮かんだ鏡餅を強制消去して肉まんを思い浮かべてみました。

う~ん、なんか迫力不足。

重みが足りない感じ。

やっぱり私の「絵に描いた餅」は鏡餅だよね、なのでした。