「竜とそばかすの姫」観ましたので感想をメモしておきます。
いやいや、映像の綺麗なこと。
キャラクターの何て魅力的なこと。
たっぷりと楽しみました。
映画を観ると、やっぱり他の人の感想も聞いてみたくなる。
私の映画鑑賞は「家で、一人で」なので、ネット上のレビューをあれこれ読んでみることになります。
で、今回もいろいろと読んでみたのですが、ちょっとビックリ。
批判的なものが結構あったのです。
受け入れられないポイントはいくつかあるみたい。
その中に「すずが恵・知兄弟のところへ一人で行ったこと」に関するものが複数ありました。
正直なところ「え? そこ?」と思いました。
私は違和感なく最後までついていけました。
あのストーリーの流れからすると、すずが一人で高知から東京の大田区まで向かうのに不自然は感じなかったです。
母の死にずっと囚われていたすず。
「U」の中で生身の姿をさらして歌いながら、すずは自分の行動が母が亡くなった時の行動と同じ種類のものであると気がつきます。
そして、自分を置いて行ってしまった母のことを理解するのです。
その後、恵たちの居場所の手ががりをつかんだすずが迷わずそこへ向かおうとするのは、いわば当然のこと。
「周囲の人たちはなぜ止めない? 少なくとも誰かが一緒に行くべきだろう?」という感想も見かけました。
確かに、その場には大人を含めて複数の人物がいました。
すずの友人たちは恵と知の居場所を割り出す役目を果たします。
大人たちは、児童相談所への通報をし、すずを駅まで送ります。
でも、最終的にはすずは一人で行かなくちゃならなかった。
母の死以来の囚われを突破するには、それが必要だった。
小さい頃からそばで見守っていたしのぶも、母の友人であった合唱隊のメンバーも、そのことを直感的に悟って、だから一人で行かせたのだ・・・私はそんな理解をしたのですが・・・。
「納得がいかない」という感想もあるのですねえ。
なぜだろう?
いろいろと考えてみました。
もしかしたら、虐待のシーンがリアルだったせいなのかも、という気がします。
あれを見て、「適切な行動を取ってすぐに問題を解決すべき」と感じてしまった人もいた、ということなのかもしれません。
でも、「現実の世界で取るべき行動を映画の登場人物も取らなければならない」なんてことはない、と私は思うのです。
そうでなければ、映画というものが存在する意味がなくなってしまいます。
この映画では「問題の解決」そのものは描かず、「当事者が問題の解決に向かう力を得る」という形で、その後の展開を示唆するに留めています。
それでいいじゃないか? と思うのですが。
ただ、描き方によっては「受け入れられない」こともあるだろうなあ、と思います。
この作品の場合、ファンタジーの中で突然生々しいシーンが挿入されて、いきなり「現実モード」に引き戻されてしまった人もいた、ということなのかもしれません。
でも、虐待についてぼかした描き方をすれば作品全体を損ねますから、それは出来ませんし。
もともと、現実と仮想空間を行ったり来たりしながら進行するストーリーですから、そのあたりのさじ加減が難しかったかもしれないです。
結果、私のように素直に受け入れた人と、「ついていけない」と感じた人に分かれた、ということなのかもしれません。
改めて、キャラクターが魅力的です。
2度目に観た時は、再生を止めながらルカちゃんや合唱隊の面々の「As」の姿を確認して鑑賞してしまいました。
何度観ても新たな発見がありそうです。
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