夏目漱石「それから」を読みましたので感想などをメモしておきます。
ネタバレになる部分がありますので、未読の方はご注意ください。
1909年に書かれたものだそうです。
といってもピンと来ないけれど、「明治42年」というと「うわっ」と思います。
でも、そんな古いものなのに、主人公その他の登場人物たちの考え方や行動が「わかる」気がするのが不思議。
彼らの言動を2022年に持って来たとしたらどうなるだろう?
たとえば主人公の代助。
彼が世の中のことについてツイッターでつぶやいたとしたら?
炎上必至だろうなあ・・・。
「上から目線」な発言が多くて。
あ、この言葉は最近あまり使われないのかな?
「おまいう」という集中砲火も浴びそう。
「自分では稼がずに親のカネで何不自由なく暮らす金持ちの二男」に言われたくない!ってことで。
でも、代助の発言そのものには「そのとおりだよねえ」と感じる部分も多いし、暮らしに困っていないからこそ見えるものもある、という気がします。
「高等遊民」だからこそ、ってわけ。
私、この作品をずいぶん昔にも読みました。
高校生の頃だったと思います。
その時、「高等遊民っていいなあ、こうなりたいなあ」と思ったのを覚えています。
で、今回読み返してみて、それに近いことを感じたのです。
「お金に縛られずに、自分の価値観や信条にのみ従って生きていければいいなあ」みたいな。
それで気がついたのだけど、数年前から話題になってるFIREってやつ。
Financial Independence, Retire Early の略だけど、あれの目指すところも同じかも、と。
代助と違うところは、生きていくのに必要なお金は自分で準備する、という点。
でも、「自分らしくありたい」という根本は同じなんじゃないかなあ、という気がします。
明治も令和も、その点は変わらないのかなあ、なんてことを考えました。
変わらない、といえば代助の父や兄も。
成功した実業家で、たぶんいろいろとグレーなこともやってる。
その感じが「昔も今も変わらないなあ」なのです。
彼らの行動が週刊誌にスクープされて・・・なんてことを想像してしまいました。
そしたら、代助に対する「おまいう」は一段と凄まじいものになるでしょうねえ。
代助はSNSのアカウントをぜ~んぶ閉鎖することになるかも。
あ、大脱線しました・・・。
でも、そこなのですよねえ。
代助の自由は父や兄が稼いだおカネの上に成り立ってる。
そもそも矛盾してるのです。
で、代助がその状況から飛び出すことになる原因は・・・やっぱり「女性」。
昔も今も変わらぬメロドラマ。
ちょっと調べてみたら映画化されてるそうです。
森田芳光監督。
代助は松田優作だって!
観てみよう(^_^)
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