小説「疾走」を知ったのは「精神科医が読み解く名作の中の病(岩波明)」を読んで。
主人公シュウジの兄シュウイチに関して、放火癖や統合失調症について解説してありました。
それが興味深かったため、いつか読んでみようと思っていたのだけど、映画化もされていると知って、そちらを観る気になりました。
ずしりと重い内容でした。
以下、断片的ですが感想など。
★主人公と鬼ケンの出会い。突っ走る車。「また乗せてやる」という男同士の約束。幼少期のシーンは緑色のフィルターがかかっている。印象的。
★「よそ者はみんなムショ帰りになるんだよ、噂話だと」から始まって、セリフの意味がいちいち重い。原作から選びに選んだ言葉を使って脚本を構成しているのだろうなあ、と思う。
★家族内の会話にも緊張感が漂う。主人公の兄は既に妙な雰囲気を漂わせている。不気味だ。
★兄から暴行を受けても、それを飲み込む主人公。いびつな家族だ。
★「浜」と「沖」の関係性は神父との問答で明らかになる。神父の投げかける問いは観る者にも鋭く迫ってくる。
★中学生になった主人公。教師は俗物。それに屈しないエリ。主人公がエリに惹かれるのは「自分もこうありたい」という憧れなのでは、という気がした。
★精神に変調をきたしているシュウイチと神父の対話がすごい。いや、対話は成立していない。神父はシュウイチに手を伸ばそうとするが届くことはない・・・。
★「沖」のリゾート計画。神父が立ち退きを拒否するのはエリの居場所がなくなってしまわないように、ってことだよね。
★兄が連続放火で捕まってからのシュウジへのいじめ、家族の崩壊。見るに堪えない悲惨さだ。父も母もなぜシュウジを守らない? いや、この家族は最初からそうだった・・・。後に明らかになるエリの生い立ちも悲惨だ。こちらも身勝手な親たちだ。
★神父の弟とシュウジの対面シーンは戦慄もの。もうやめて!と叫びたくなってしまった。
★大阪での出来事は、どうやら原作よりはマイルドに描かれているらしい。それでも十分に強烈だが。
★逃げ延びたシュウジは東京でエリと再会する。そして神父の弟の予言?どおり、エリのおじを刺す、という展開になる。しかし、その意味するところは違う。神父の弟とシュウジは同じではない。
★田舎に帰ったシュウジはかつて家族で暮らした家に火をつける。理性の元での行動だ。兄とは違う。
★エリのおじは死ななかったし、警察官はシュウジの足を狙って撃った。罪を償った後の未来があったはずなのに・・・携帯電話が鳴り、それに気を取られたシュウジの体勢が低くなった。しかもその電話の内容は・・・。何という運命だろう。
★救いはある。神父やエリの見上げる空は青い。
詰め込まれた要素が多いため、一つのセリフも聞き逃せない緊張した視聴でした。
あれ?と感じる場面もありました。
シュウジの父が去り、母が去る場面など。
おそらく原作では、もっと丁寧に事情が描かれているのでは、という気がします。
映画では映像のみで語る、という感じです。
他にも割愛した重要シーンがあるのかもしれないです。
小説を映画化する際の宿命だとは思いますが。
原作を読んでみようかどうしようか、ちょっと迷っているところです。
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