成見和子のブログ

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帚木蓬生【閉鎖病棟 Closed Ward】

帚木蓬生「閉鎖病棟」。

とある精神科病院の内外での、「チュウさん」を中心とする人生模様が描かれます。

以下、断片的ですが感想などをメモしておきます。

ネタバレになる部分がありますので、未読の方はご注意ください。

 

チュウさん以外の重要人物は由紀、秀丸、昭八。

この3人については、冒頭でそれぞれ1章ずつを充てて背景などが語られる。

いずれも「壮絶」といってよい事情を抱えている。

 

4章から現在のストーリーが始まる。

チュウさんに関する情報は次第に明らかになるが、秀丸たちのような「特別」な背景を抱えた人物ではない。

もちろんチュウさんも様々な苦労をしている。

統合失調症の発症から入院にかけては、周囲の人々を大きな混乱に落とし入れてもいる。

しかし、それは統合失調症を発症すると誰もが直面する状況といっていい。

言葉は悪いが、チュウさんは「普通の患者」である。

 

チュウさんと同じ病棟の患者たちが、実に個性的に描き分けられている。

ああそうか、ここは学校と同じような集団生活の場なのだなあ、と思いながら読んだ。

 

ある日の外出。

チュウさんと昭八、昭八の甥の敬吾が秀丸の車椅子を押して進む。

途中出会った由紀を誘って5人で天満宮へ向かう。

それと並行して、それぞれの事情が語られる。

いろいろなものを抱えながらも穏やかな時間。

来年もまた5人で来よう、のところは切ない。

皆、この先に何が起こるのか知らずに幸せな時間を過ごしているのだ・・・。

 

「死刑が失敗して助かってしまい、その日のうちに拘置所から放り出される」という状況が本当にあり得るのか、そこはわからない。

しかし、ここまで極端な設定があって初めて「秀丸の第二の殺人によって由紀が救われる」が読者に受け入れられるのだよなあ、と思う。

 

秀丸の第一の罪には微妙なところがある。

てんかん発作のもうろう状態での殺人。

本人は「自分は正気だった、自分には罪がある」と考えているが、本当のところは、いわゆる「心神喪失」あるいは「心神耗弱」の状態だった可能性もある。

だから死刑が失敗して「第二の人生」が与えられたのでは?という深読みも可能。

作者はそんなことは意図していないのかもしれないが。

 

チュウさんが演芸会の劇の台本を書くことになって・・・という展開に驚いた。

この点は、驚いた私に問題があると言っていい。

「統合失調症で入院中の患者が劇の台本? 無理でしょ?」という先入観。

主治医でさえ持っている「決めつけ」のようなもの。

実は、この時点でのチュウさんの症状は、とりたてて誰にも害を与えることのない内容の妄想だけになっているのに。

 

重宗の登場は強烈だ。

覚醒剤中毒。

見ず知らずの相手を刺して死なせたが、精神鑑定により「重度の幻覚妄想状態」とされ、起訴されずに病院送り。

精神鑑定を受けた後に死刑判決を受けた秀丸との対比が複雑な気分にさせる。

どちらが本当に危険な人間なのか・・・。

 

チュウさんには秀丸のような特殊な背景はない。

しかし、発病前に買った土地が今は一等地になっている、というのが何ともうまい設定だ。

敷地内には妹夫婦が建てた家もある。

権利関係が複雑そうだ。

これがチュウさんの今後にどう絡むのか?

 

劇の稽古のエピソード。

火事のエピソード。

何かが近づいているのを感じさせる。

それはよい「何か」なのか、悪い「何か」なのか・・・。

 

劇は大成功。

チュウさんの台本に感心してしまった。

このあたりから「そもそもチュウさんって入院が必要な状態なの?」という疑問が私の中に芽生えた。

 

クロちゃんの失踪から死へのエピソードは辛い。

「何があっても、それでも皆生きていく」というメッセージに満ちた小説だが、こういう現実も挟まないと嘘っぽくなってしまう、ということなのだろう。

 

病院の遠足のシーンは不吉な転機だ。

重宗が由紀に目をつける。

同時に(あとから振り返れば)希望のシーンでもある。

由紀は、この日秀丸からもらった景品の文箱を、ずっと大切にしていくことになる。

ここで出てくるおじぎ草も、由紀にとって大切なアイテムとなる。

 

チュウさんの母が亡くなる。

義弟や甥から「土地を担保に銀行から金を借りて」とか「八階建てのマンション」といった言葉が飛び出し、チュウさんは突然「退院」を口にする。

大事件に隠れて目立たないが、もうひとつの重要なストーリーが動き出した瞬間。

 

ここからは怒濤の展開。

由紀の身に降りかかる悲劇。

重宗を刺し殺し、警察へ引き渡された秀丸。

消息がわからなくなってしまった由紀。

敬吾と共に退院する昭八。

退院した昭八のところへ泊まりに行くチュウさん。

拘置所の秀丸とチュウさんの手紙のやりとり。

 

そして、運命のように新しい主治医がやってくる。

30年間入院していたチュウさんの退院が実現する。

これはきっと、精神科医でもある作者がぜひとも描きたかったことに違いない、と思う。

もちろん病棟の面々の中には、一生入院なのだろうな、と思わせる人物もいる。

でも、ストさんのように、退院の可能性をうかがわせる人物もいる。

チュウさんは勇気あるパイオニアなのだ。

 

ひとつ確認しておきたいことがある。

秀丸はてんかんの持病があるが、発作のない時は通常の思考をする。

病院には当初は雑用係として住み込んだ。

「入院患者」となったのは、身体を痛めた秀丸に院長が「終の棲家」を与えた形だ。

由紀は辛い状況に置かれて不登校だが、精神疾患ではない。

チュウさんと深く交流した二人は、いわば「外の人」なのだ。

精神医療のことはわからないが、この点は極めて重要なのでは、という気がする。

 

最後の章は素晴らしいのひと言。

これまでに起こった何もかもを包み込んで希望へと向かわせる言葉の数々。

これはもう「読んでみて!」としか言えない。

 

・・・ここまで、断片的にいろいろと書いてきました。

実は、法廷シーンで涙が止まらなくなってしまい、その勢いで、その日のうちに映画も観たのです。

2019年の「閉鎖病棟 それぞれの朝」です。

いろいろと考えさせられました。

これは「映画化」ではないな、と思いました。

「翻案」というのでしょうか。

「新たに作り出された別の作品」だと感じました。

原作を読まずに映画を観ていたら「いい映画だ」と思ったかもしれないです。

でも、原作を読んだ直後に観るべきではなかったなあ、と思います。

映画を観て「名作だ!」と思われた方は、それでよいと思います。

何かしら違和感を感じて納得できなかった方は、ぜひ小説の方を読んでみていただきたいです。

映画の形ではすくい取れなかったものがたくさん詰まっていますので。

 

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