「警戒感を持って状況を見ていく必要があると思います。」
「スピード感を持って対応するよう指示しました。」
こんな発言、最近よく耳にすると思いませんか?
行政の責任ある立場の人の会見なんかで。
ものすごい違和感を覚えるのです。
必要なのは「警戒」、「スピード」でしょ?
感じるだけ、感覚だけじゃダメでしょ、って思うのです。
何だか微妙に責任逃れしてるみたいに聞こえてしまいます。
実際はそんなつもりはないのだろうけど。
これ、日本語全般の最近の傾向のような気がします。
「~だとは思います」というヤツも同じじゃないかなあ。
なぜ「~だと思います」って言わないんだろう。
「は」に一体何を含ませているんだろう。
実は何も含ませていないのかな?
私の感覚では「~だとは思います。」は「でも、・・・」と続いていくはずなんだけど。
何も続かないパターンが多いみたい。
「特に異論や反論があるワケじゃないけど、全面賛成だとも言えない」ってことなのかな?
いや、そんな深い意味じゃないみたいだ。
何と言ったらいいんだろう・・・
言い切りたくない、断定したくない、それだけのことのような・・・。
あ、正しいとか間違ってるとか、そういう話ではないのです。
言語が変化していくのはアタリマエ。
変化を好まない人は「日本語が乱れてる!」と怒るかもしれないけど。
でも、その変化や「乱れ」の中に「時代の空気」が隠れているような気がするのです。
「~感」の多用や「は」のニュアンスには、何か共通のものが含まれているように思うのです。
誰かうまく分析してくれないかな?
こういうのは誰の仕事なんだろう。
言語学者? 社会学者?
社会言語学者? ← こういうジャンルあるよね、たぶん。
いやいや、学者さんに頼るのじゃなくて自分で考えてみるのもいいかも。
サンプル集めしてみるかな。
・・・ちょっと待て、私。
そんなことしてる場合じゃないでしょ!
仕事場のデスクの上には未処理の書類がたまってるでしょ!
仕事しなさーい!!!